2015年10月23日金曜日

朝はいつものようにSymphony Lakeを1周ウォーキングをしてきました。昨夜の気温が高かったのか朝もやはほんの少ししか見られませんでした。
その後は昼食を作りにマージーさんが来てくれた時以外は机の向かって仕事をしました。ベトナムのハノイでのプレゼンテーションの原稿について、Crop Life Asiaのメンバーの一人から、HHP (Highly Hazardous Pesticide)に関する議論がもう少しあった方がよいのではという提案が届きましたので、検討してみることにしました。Dr. Vasant Patilからもメールが届いて、11月19日~20日にインドネシアのジャカルタで予定されている会合に関する提案があり、そちらの方のプレゼンテーション原稿の内部チェックの提出期限は11月3日にしてほしいと言ってきました。私は11月2日に日本に帰国して3日はハノイに向けて出発の予定ですから、ということはこちらに滞在している間に作成して送らなければならないということです。来週1週間しか時間は残っていません。

今日は午後4時から6時までダウターマン先生の奥さんのVisitation(お通夜に相当?)が、モーテルから車で30分ぐらいかかるところにある葬儀場Mitchell Feneral Home at Raleigh Memorial Parkでありました。ちょっと早めに着くように行って、すご隣にあるセメタリー(墓地)にも寄ってみましたら、ダウターマン先生のお墓のすぐ横に穴がすでに掘ってあって、その上にテントが張ってありました。先生の場合は棺桶ごと埋葬する土葬でしたが、奥さんは火葬にしてほしいと遺言を残していましたので、縦・横・深さが約50cm×1m×1mぐらいの小さな穴でした。そこに箱のようなものを入れて、その中に遺灰を収めた骨壺を入れるようです。

葬儀場では弔問者の記帳机があり、教会の礼拝堂みたいなチャペルには長椅子がたくさん並べてあって、どの列にも涙が止まらない参列者のためにティッシュの箱が置いてありました。正面の祭壇の上には大きなスクリーンがあって、昨夜ネットで検索して見たのと同じ写真が次々に自動的に映写されていました。奥さんの遺体はすでに火葬されて正面の祭壇のきれいな壺に収められていました。日本ほど派手に生花を並べることはなく、ダウターマン先生の亡くなった弟の息子二人の連名で生花と送り状が届いていました。弔問者はばらばらに会場に到着し、喪主役のウォルターJr.君とジョン君と言葉を交わしてお悔やみを言ったり、お互いどうしでスクリーン映し出される写真を見ながらコメントしたりしていました。奥さんが亡くなる前に私がプリントしてもっていってあげた1969年からの家族の写真も入っていました。
続きの部屋には飲み物(冷水、レモネード、コーヒー)とクッキーのような簡単なスナックが置いてあり、自分たちで勝手につまみながら喪主やお互いどうしで話をしていました。特別のプログラムがあるわけではないので、30分ぐらいで帰る人や40分ぐらいして到着する人などバラバラです。私とマージーさんは1時間ぐらいいて皆と話をしてから引き揚げました。帰る前にジョン君とウォルター君と握手をしたら、特にウォルター君は私の手を強く握り返して、本当にありがとうございましたとお礼を言っていました。つい数日前に奥さんとお墓参りをしたり、食事を一緒にしたり、古い家族の写真をあげたりしたので、奥さんが心置きなく旅立てたという思いがあったのかもしれません。
明日はウォルター君とジョン君の立ち合いのもとで、骨壺を今日すでに掘ってあった墓地の穴に入れるようです。
日本のような香典というのはなく、配られた奥さんの写真の載っているカードに、意志のある人はFriends of Duke Medicineか、奥さんが卒業した大学Warren Wilson Collegeに寄付をしてほしいとして両方の住所が記載してありました。葬儀事態に大きなお金をかけずに、社会に役立つところに寄付を依頼するというのはいかにもアメリカ的だと思いました。
昨日ネットで見た写真はしばらくそのままになっているそうですので、日本に帰ったらダウターマン先生の研究室に留学した人たちにも知らせてあげようと思っています。http://obits.dignitymemorial.com/dignity-memorial/obituary.aspx?n=Barbara-Dauterman&lc=7300&pid=176183493&mid=6643096
画面の中のPLAY VIDEOというところの三角印をクリックすると写真が次々に出てきますので、ダウターマン先生の家族と長いお付き合いをしてきた妻や私の子供たちにもパソコンの画面で見せるつもりです。

帰りは日本料理の「すしつね」に寄って、夕飯にお鮨を食べてきました。明日はサウスカロライナ州のギャフニーというところに住んでいる友人のラリー・テイト君を一泊で訪ねる予定です。奥さんのリンダさんが腕によりをかけてステーキをご馳走する準備をしているという連絡がありました。