2015年11月7日土曜日

日本への帰国の飛行機は夜遅く出発する便を予約しましたので、朝10時にホテルをチェックアウトして、荷物だけホテルに預かってもらって比較的近くのホーチミン博物館に歩いて行きました。広大な敷地の中にいろいろな植栽があり、日本の盆栽を思わせる鉢植えの木がいくつも配置してありました。朱塗りの廊下(天井からところどころ扇風機が回っていました)を渡っていくと、大きなりっぱな建物に入りました。護衛兵がたくさんいて、写真撮影は禁止で、ホーチミンの遺体(本物かどうかはわかりませんが)が安置された棺桶が設置されていて、それを拝謁しながら前に進みました。中国の毛沢東主席や、旧ソ連のレーニンやスターリンや、昔のイラクのフセイン大統領のように、リーダーが神格化されているような気がしました。
公園内には大統領宮殿や、ホーチミンが実際に住んでいた建物や、晩年造らせて住んだという高床式の住宅などがありました。たまたまアメリカ人の15人ぐらいのグループがベトナム人の通訳と一緒に回っていましたので、私もその中にちゃっかり紛れ込んで説明を聞かせてもらいました。通訳は若者でしたが、アメリカ人からのベトナム戦争をどう思うかという質問に、ベトナムにとっては最大の脅威は中国で歴史上何回も侵略されて戦ってきたし、フランスには最後のベトナム王朝が戦争に敗れて100年間植民地にされたし、その後のアメリカとの戦争はわずか20年間で、ベトナムにとってはこれら全てがベトナム戦争でアメリカとの戦争だけがベトナム戦争ではないと答えていました。アメリカはベトナム戦争中に軍事目標以外にもベトナム全土で爆撃を繰り返して犠牲者がたくさんでたが、ベトナム人はアメリカ人を憎んでいるかという質問に対しては、戦争は国の政治家どうしが始めるもので、アメリカの国民もベトナムの国民もそれぞれの国の命令で戦争に従事しただけだから、戦争が終わればアメリカ国民に対する憎しみというものはないと上手に答えていました。

その後、自転車で押す人力車みたいなタクシーをひろってアーミー(陸軍)博物館に行きました。フランス軍と戦って独立を勝ちとった時の武器や、アメリカ軍との戦いで使われた旧ソ連製のミサイルや戦車や、捕獲した米軍の戦車や偵察機や、米軍がベトナム戦争で使った何十種類もの爆弾などが陳列してありました。多くのアメリカ人が見学にきていましたが、中にはベトナム戦争に従事した世代と思われる人たちもたくさんいました。このソ連製戦闘機ミグ21で米軍機14機を撃墜したと書いてあるのを見て、自分の仲間や息子たちが戦死した人もたくさんいるでしょうが、どんな心境だろうと想像しました。

博物館の門の前で待っていた同じ人力タクシーにホテルまで送ってもらって(空港からホテルまで30分近く普通のラクシーで走ってもUS$50だったのに、日本円1万円を両替してもらったベトナム通貨を全部とられてしまいましたので、明らかに詐欺にあったのだと思います)、ホテルに予約してあったタクシーで空港に行きました。
空港のロビーにはアメリカのファーストフードのフランチャイズ店のバーガーキングの広告が出ていました。空港で4時間半ぐらい時間待ちをしてベトナム航空の国内便でホーチミンシティ(旧サイゴン)に飛び、夜中の12時頃出発して全日空便で成田空港に向かいました。