2016年4月12日火曜日

昼休みは久し振りに道場に行って空手の稽古を1時間しました。と言っても、まだ病み上がりで体調は万全ではないので、軽く基本の突き・蹴り・受けの稽古と、筋力トレーニングをした程度ですが、やはりすぐ呼吸が苦しくなって情けない状態でした。巻き藁だけは正拳で突いたり、手刀や裏拳で叩いたりして、拳が固く握れるようにしました。

約束してあった農薬工業会での待ち合わせ時間は4時半ということでしたが、少し早めに着きました。
会議は終わっていて、Crop Life Asia http://www.croplifeasia.org/ のDr. Vasant Patil が待っていてくれました。Crop Life Asia はシンガポールに本部があって、アセアン諸国からの農薬問題に関する相談に対応しています。私は昨年11月にベトナムのハノイ、タイのバンコック、インドネシアのジャカルタを訪問して農薬に関するワークショップで講演をしてきましたが、5月~7月の期間に再度ハノイを訪問して2回講演をしてほしいと依頼されました。この期間で私の手帖にすでに予定が入っていて駄目な日を書きだして伝えましたので、残りの日から私が4日間ぐらい連続してとれる日を現地の人たちと相談をして決めるということになりました。前回は、講演の後でホーチミン廟や戦争博物館を見学しましたが、今回はもし可能なら、ベトナム戦争中に米軍が枯れ葉作戦でエージェントオレンジと呼ばれた除草剤を空から大量に撒いてジャングルを裸にしたところが現在どうなっているか見てみたいと希望を伝えておきました。

しばらく待っていたら、会議が終わって一時ホテルに戻ったCrop Life International https://en.wikipedia.org/wiki/CropLife_International のDr. Wolfgang Maasfeld(ドイツ在住)とDr. Alister W.J. Moriss(イギリス在住)の2人が出直してきました。この組織はベルギーのブルッセルに本部があって、農業におけるバイオテクノロジーと作物保護の問題に関する相談に対応しているようです。
今回これらの人たちが日本に集まったのは、韓国政府の要請で「農薬の作業者ばく露」の問題について、日本をはじめ世界の取り組みと経験・実績を伝えて、韓国政府の今後の取り組みを援助することが目的だったようです。3人で日本における最新情報を入手して、明日韓国に飛んで2日間の会議が予定されているとのことでした。
私も現職の時に韓国農村振興庁の要請で、農薬研究所の研究者にラジオアイソトープを用いた農薬の研究方法について指導をするために1ケ月間水原(スウォン)に滞在したことがありましたが、韓国政府がIAEA(International Atomic Energy Agency 国際原子力機関)に専門家の派遣を要請して、IAEAが当時そういう研究をしていた私を選んで派遣したのだと思います。昔は、韓国は先に経済発展した日本を手本にして、何でも日本より5年ぐらい遅れて同じことが起こると言われていましたが、今は韓国自身が十分発展して、日本とは別に独自にいろいろな施策を展開しようとしているのだと思います。

5時半から場所を和食レストランに移して、日本農薬工業会からも2名加わって、一杯やりながら楽しい懇談の時間を過ごしました。
Dr. Vasant はその後も多忙らしく、来週からはフィリピンに行くと言っていました。私にとって一番面白かったのは、ドイツ人のDr. Maarsfeldとの会話でした。日本もドイツも第二次世界大戦の敗戦国ですから、東西ドイツの合併によって何が起こったかや、シリアからの難民が経済的に豊かなドイツを目指して大量に押し寄せてきている問題や、ベルギーやオーストリアやスイスの一部のようにドイツ語(と言っても少しずつ違うそうですが)を話す隣国との歴史や文化の関係など、もっともっと会話を続けたいぐらいでした。

先日千葉大学であった国際教養学部設立の記念シンポジウムでのテーマは、多様性の理解と共存ということでした。国境、人種、性別、年齢、職業、言語、宗教、文化、などの違いを認めた上でどう平和的に共存していくかですが、最近の流れとしてそれに性的嗜好(いわゆるBGLT:Bisexual, Gay, Lesbian and Transgender))の違いも含まれるという指摘がありました。ヨーロッパは、歴史的な時代によって分割されたり合併されたりを繰り返してきて、それが今はEU(European Union 欧州連合)という形で政治的に一つになったにもかかわらず、今回のシリア難民の問題をきっかけに、厳然として存在する違いをどう乗り越えて共存できるかという問題を突きつけられているようです。
宗教も言語も生活習慣も異なる20万人を超える難民が入国し、難民収容所で生活し続ければ、難民にもドイツ人にも不満が蓄積して社会の不安定要素になり、問題が生じてくることは容易に想像できます。保守的な人たちからは、ドイツで生活するならドイツ語を習得させて、イスラム教からキリスト教に改宗しないまでも生活習慣はドイツ社会の生活習慣に合わせるのは当然だということになるのでしょう。それができないのだったら、同じ宗教で同じ言語の他のアラブの国に移住したらどうか、という主張になるのでしょう。
日本も難民認定がきわめて厳しいと批判されている国ですが、大勢の難民が押し寄せてきた時にどういう対応ができるのか、難しい問題です。日本自身が、アイヌのような縄文時代からの原住民と北方や南方や中国大陸や韓国・朝鮮から移住してきた民族が長い年月をかけて融合してできたのだと思いますし、私自身も性格的に農耕定着民族よりも遊牧移動民族の子孫のような気がしますので、できるだけ難民や異民族を受け入れて一緒に仲良く暮らせる国であればいいなと思います。

Dr. Vasant Patil は元々インド人ですが、インドにも多数の言語が存在するので、例えば農薬のラベルの使用基準は共通語としての英語とヒンディ語の他に、地域特有の計16の言語で記載しなければならないという規則だとのことでした。そのために、文字が小さくなって、何重にも折りたたまれた説明書を輪ゴムで農薬容器に巻きつけてあるとのことでした。