2016年4月27日水曜日

茨城県樹木医会会長の阿部 豊氏と千葉県の銚子駅で10時に待ち合わせ、レンタルした2トン積みトラックで茨城県神栖(かみす)市波崎(はさき)海岸の生涯学習支援センターの駐車場に行きました。神栖市役所から松くい虫被害木の伐倒作業を受注した現地で造園業を営むOさんがすでに来て待っていてくれました。名刺交換したら東京農業大学造園学科卒業生で、私が5年間客員教授をしたことがわかり、同窓だということで即座に親しくなりました。しばらくしたら、神栖市役所の農林課の職員2人が到着しましたので、私が持参した松くい虫被害(松枯れ)の原因や、現状や、防除対策や、問題点などに関する資料をお渡しして説明をしました。県でも市でも同じですが、役所は職員は何年かすると担当部署が変わるので、昨年お会いした担当者から代わったばかりで、松くい虫問題についての情報を大変感謝されました。

ここは童子女(おとめ)の松原という名称の看板が立っていましたが、常陸国(ひたちのくに)風土記という奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂された記録に基づいているとの説明がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
神話に基づいて、郎子(いらつこ)という若い男性と嬢子(いらつめ)という若い女性がそれぞれ奈美松(なみまつ)と古津松(こつまつ)になったということで、銅像の後ろに2本のマツが配置されていましたが、その中の1本が松くい虫被害で枯死したので造園業をやっているOさんが最近新しいマツに植え替えたとのことでした。
伐倒駆除された根株の年輪を数えてみたら、大きいものでも樹齢は50年ちょっとぐらいに見えましたので、奈良時代から存在したマツは全部消滅(千葉県館山市の平砂浦のマツにように、戦争中に松根油を採るために伐採されたのかも?)して、戦後に植えられたマツが松くい虫被害で枯れて、その後植栽された若いマツがほとんどでした。今はその若い松がどんどん枯れて、疎林になってきています。

どこでも同様の問題に直面していますが、予算的に枯死マツの全部を伐倒駆除できないということと、道を1本隔てた隣接松林は民有林なので枯死松が放置されたままで来年の発生源になっているという問題もありました。人間の社会では、国有林、県有林、市有林、民有林かで所管者が異なりますが、マツノマダラカキリにとってはそんなことは関わりなく、羽化脱出後はマツの樹に飛んで行って当年枝・1年枝の樹皮をかじってマツノザイセンチュウを侵入させますので、枯死マツが林内・林外に放置されていればいつまで経っても被害を終息できないことは明らかです。
仕事を受注した造園業者も伐倒した丸太を集積して(直径×長さで計算した材積量m3で市からお金が支払われる)、残りの小枝を林内に放置していましたので、それを割材してマツノマダラカミキリの幼虫が寄生しているのをお見せしたら、驚いていました。発注する側も受注する側もこういうことを知らずに作業をしていることも、被害が終息しない一因になっています。
集積してある伐倒木から、マツノマダラカミキリ幼虫ができるだけたくさん寄生している丸太を選んでトラックに積載するのを造園業者と神栖市役所の職員にも手伝ってもらって、その後約4時間かかって下館に運んで、網室に収納しました。全部で86本ありましたので、1本からマツノマダラカミキリ成虫が4~5頭羽化脱出してくれば、344~430頭得られる筈だと皮算用しました。

帰りは車で小山(おやま)駅まで送ってもらって、上野駅まで新幹線に乗りましたが、その前に小山駅近くのカフェ・レストランBee House というところに寄って休憩し、小さなパンケーキのセットを注文してハチミツをかけて食べました。
お皿には、チョコレートの粉を使って、フォークとミツバチの絵が描いてありました。
http://www.sensinkai.or.jp/beehouse/
店の外観も内部も素敵なデザインで、対応した若い女性の店員もまるで働き蜂のような印象で素敵でした。こんなにオシャレで感じのいいお店は珍しく、近くに行く機会がある人にはお薦めです。

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