2016年5月22日日曜日

朝、浦和高校時代の同級生で同窓会の役員もしている歯科医の大澤武雄君に電話をしたら奥さんが出て、今畑に出ていて(診療のない日はかなりの規模の家庭菜園をやっている)昼ごろ帰る予定とのことでしたので、携帯に電話をし直して事前に出席の返信をしていないが同窓会総会に出席できるだろうかと訊いたら、全然問題ないということでしたので出席することになりました。
会場は、さいたま新都心駅から歩いてすぐの「ラフレさいたま」というホテル・結婚式場・会議場の一室でした。昔は、北浦和と大宮の間の農村地帯だったところが、国の合同庁舎をはじめ高層ビルがいくつも建って、全く景色が変わっていました。
私が同窓会総会に出席するのは初めてでしたが、出席者名簿を見ると300人を超えていて、私のように事前申し込みなしの出席者も含めると350人ぐらいはいたと思います。私と同期の高校13期卒業の川野幸夫君(ヤオコー会長)が4期8年つとめた会長役を勇退して、4年後輩になる17期卒業の木村恵司君(三菱地所会長)が新会長になりました。
配布された役員名簿を見ると、34期卒業の若田光一君(宇宙飛行士)が名誉会員になっていました。
川野現会長、杉山校長の挨拶、議事、木村新会長の挨拶に続いて、今日のメインイベントの26期卒業の天野 篤君(順天堂大学教授、病院長)の「この道を熱く生きる」という演題の講演がありました。

26期卒業ということは私より13年後輩ですから60才の筈ですが、若々しく見える天野教授も先ず最初のスライドで今朝自分が服用してきた薬ですと言って、同窓会名簿の上に並べた薬の写真を見せました。医者のくせに、いろいろな健康食品の類の他に、コレステロールを下げる薬その他こんなにたくさん飲んでいるのかと驚きました。
浦和高校時代は、成績は400人中300番台で、当時の不良高校生がやっていたようにパチンコとマージャンで時間つぶしをしていた劣等生だったことの紹介と、何故医師になったかという話や、人生哲学の話が中心でした。天皇陛下の手術を執刀しましたので、一躍有名人となってあちこちのテレビや講演会にひっぱりだこだと想像しますが、元不良高校生らしい話し方で会場を沸かせました。手術の時にピンセットやメスを持つ手が震えないのは、浦和高校時代にパチンコで指先を鍛えたお蔭だという冗談は皆の笑いを誘いました。著書の宣伝もしましたが、何万部か売れた最初の本の印税は全部奥さんの収入になったが、その後の本の印税は全部あちこちに寄付をしているので、1冊買ってもらえれば印税の何十円かは熊本の被災地の支援をすることになりますと言われたので、早速ネットで「熱く生きる」を1冊注文しました。
http://ameblo.jp/nrs4702/entry-11893019578.html
天野教授には「熱く生きる」の他にも、「一途一心、命をつなぐ」、「この道を生きる、心臓外科ひとすじ」など、一般向けの著書が何冊かあるようです。
http://www.amazon.co.jp/%E7%86%B1%E3%81%8F%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B-%E5%A4%A9%E9%87%8E-%E7%AF%A4/dp/4860086279

講演の後は、天野君と同期で26期卒業の堀尾正明君(NHKを退社してフリーになり、現在はTBSテレビのNスタという夕方2時間のニュース番組のメインキャスターをしている)が登場し、天野君とのインタビュー、川野君、木村君も加わってのインタビューがありました。堀尾君も浦和高校時代の成績は300番台だったそうですが、天野教授を同期生の気安さで「天野」と呼びつけにしていました。二人とも浦和高校伝統の40Km競歩(1年生から3年生までの全生徒が学校から茨城県古河市まで歩く、と言っても実際は大半を走る)では1桁か2桁の順位(つまり体力派)だったとのことでした。
ちょっと面白かったのは、堀尾君が私と同期の川野君に学校時代の勉強の成績はどうっだたかと質問した時に、成績は公表されなかったのでわからないと嘘を言ったことです。当時は試験の度に1番からビリまで全員の成績が廊下に貼りだされていました。川野君は東大法学部に進学しましたので、400人中1番か2番、常にトップ10に入っていた筈ですが、成績の悪かった天野君や堀尾君はそれを自慢げに話し、成績が抜群だった川野君はそれを隠したということです。能ある鷹は爪を隠すということでしょうか・・。
ちなみに私もできの悪い生徒の方の代表で、勉強の成績は多分375番から400番の間を行き来していたような気がします。競歩大会は1学年400人×3学年=1,200人中25番だったことだけは今でも誇りです。

懇親会にも参加するつもりでしたが、300人を超す大人数でしたので心変わりして、代わりにラグビー部員が練習中に頸椎損傷してリハビリしている生徒を支援する募金活動をしていましたので、予定していた懇親会費の一部を募金箱に入れて帰ってきました。