千葉県では松くい虫防除の失敗で大半の松林は消滅しましたが、私の見たところでまだ面として松林がしっかり残っているところが少なくとも4ケ所あります-銚子の海岸、稲毛の海岸、鴨川のシーワールド付近、富津岬。今日は鴨川を含めて外房から館山の平砂浦の海岸松林の現状がどうなっているか、一人で車を運転して視察に行きました。
鴨川のシーワールド付近の松林はまだちゃんと守られていましたが、県道128号を少し南に下った辺りでは結構枯死木が目立ち始めていました。さらに南下すると、松くい虫被害で海岸松林がボロボロになっている和田浦ですから、もしかしたら被害が北上しつつあるのかもとちょっと心配になりました。枯死木が目立つ松林の前の家の庭に住民の奥さんがいたので話かけてみたら、私が作業着を着ていたので県の職員か伐倒を委託された造園業者かと思ったのか、以前担当者(誰の事か?)に「枯れたマツは何も害がないのでそのままほっとけばよい」と言われたと話してくれました。枯れたマツは来年の松くい虫の発生源になって次々に被害を拡大していくので伐倒駆除しなければいけないのに、とんでもない間違った情報を誰かに提供されていました。まさか、県の南部林業事務所ではないと思いますが・・。
奥さんの話では、以前はヘリコプターで薬剤散布をしていたが、この頃は県道を走る小型トラックの上から松林に向かって何かを散布しているとのこと。恐らく、スパウターでネオニコチノイド剤を地上散布しているのでしょうが、林帯幅があるので奥の方には薬液が十分量かからないということと、残効性が短いので1回散布ではマツノマダラカミキリ成虫の発生期間をカバーし切れないという、防除が失敗しているあちこちと同じ問題が起こっているのでしょう。
昭和46年(1971年)に当時の千葉県知事によって設置された「飛砂・潮害防備保安林」の看板が空疎(くうそ)に見えました。
さらに南下して館山の平砂浦に走ると、やはり県道128号沿いの元日本の白砂青松100選に選ばれたりっぱな松林があったところに、平成13年(2001年)に千葉県南部林業事務所が立てた平砂浦の保安林に関する誇らしげな看板が立っていました。ここも、元テレビキャスターだった女性知事の時代にヘリコプターによる殺虫剤散布は生物多様性に悪影響があるという信念(信仰?)から松くい虫防除の空中散布を中止に追い込み、その結果数年を待たずに戦後60年以上かけて植樹・育成してきた松林がほぼ全滅して、元の荒れ地に戻ったところです。
今は新たに予算をかき集めてマツ苗を植樹する事業が年次進行で行われていますので、どうなっているのか気になっていました。区画によってマツ苗の生長速度に違いはありますが、陸に近い方の区画ではりっぱなマツに生長していて安心しました。中には風除けの囲いが倒れていてマツ苗の生長も遅い区画もありましたが、県の事業の性格上最初の植樹の予算はついても、その後何年にもわたって維持管理していく予算はつかないのでしょうから、そこは地元住民のボランティアの協力を得る仕組みを立ち上げればいいのにと思いますが・・。
何年か前に私自身も平砂浦での植樹イベントに参加しましたが、多分植物生態学や植生管理学分野の専門家の助言でマツ苗だけでなく、比較的潮害に強いと言われるグミ、タブ、マサキの苗も植樹しましたが、やはりマツ苗だけがしっかり育って他の樹種は大半が消えかかっていました。
50年以上前になりますが、私が学生時代には太平洋を眺めるのが好きでよく電車に乗って外房に出かけました。確か海岸に突き出た丘の上にスペインの船が座礁した時に救助した記念の塔が立っていたのは勝浦だったと思って寄ってみたら、記憶違いで御宿でした。
http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/5687
今ネットで調べてみると、1609年に、メキシコ塔(メキシコ公園)で、当時スペインの植民地だったフィリピンからやはりスペインの植民地だったメキシコに帰港する途中のスペインの船サン・フランシスコ号が沖合で座礁したのを村人が乗組員全員を救助したとあります。船名がサン・フランシスコ号ということは、当時アメリカのカリフォルニア州もスペインの植民地だったのかもしれません。大航海時代、植民地時代は歴史の流れだったのでしょうが、当時の西欧列強国が、世界中の発展途上国を植民地にして現地人を迫害・搾取した歴史を思い出させます。
間違って寄った勝浦の八幡岬には昔勝浦城があったらしく、後に徳川家康の子をもうけたお万様の銅像と説明板が立っていました。見渡す限りの太平洋の紺碧の海と崖に打ち寄せる白い波を見ていると、50数年前と変わらず、悠久の時を感じます。