2016年11月4日金曜日

来週の土曜(11月12日)には早稲田大学でのCERI(Chemicals Evaluation and Research Institute, Japan  一般財団法人化学物質評価研究機構) http://www.cerij.or.jp/ 寄付講座「生活の安全を科学する」の中の「農薬の安全確保」の講義を担当することになっていて、遅くても10日までには資料が届くようにと言われていますので、他の原稿作成をちょっと中断してその準備を始めました。

昨日は運動ができませんでしたので、今日は道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間した後、江戸川堤防を越えて水元公園Cブロックに行きウォーキング/ジョギングを1時間半してきました。河川敷に下りるスロープを走って上り下りするトレーニングは今日は5往復しました。
素晴らしい秋晴れで、葛飾橋から見る松戸市中心街の上空には白い雲がかかっていました。橋の下の河川敷のススキ野の白い穂は風でそよいでいました。

昨日の西千葉キャンパスでの校友会総会とホームカミングデーの終了後、新京成電鉄のみどり台駅で同じイベントに出席された長尾啓一先生(内科医)と一緒になり、声をかけられました。先生は千葉大学医学部卒で、1993年から千葉大学保健管理センター(2004年から総合安全衛生管理機構に改組)所長をおやりになって2012年に定年退職された方です(現在は一般財団法人柏戸記念財団ポートスクエア柏戸クリニック副所長)。http://www.kashiwado-mf.or.jp/publics/index/157/&anchor_link=page157_272#page157_272

千葉大学勤務時代の私の研究室では、2005年に静岡県新居浜の松林の松くい虫防除で無人ヘリコプターでスミパイン乳剤が散布された時に、周辺住民への健康影響の可能性を評価するために住宅地への飛散薬剤の調査(気中濃度と落下量)をしました。さらに、調査従事者(私と学生たち)とヘリコプターのオペレーターとナビゲーターは地元の医療機関で健康診断を受け、散布(ばく露)の前後で何の影響も見られないという診断結果でした。当時健康被害があると主張していた反農薬活動家グループにとっては私たちの調査結果は都合の悪い科学的事実でしたので、ヘルシンキ宣言 http://www.med.or.jp/wma/helsinki.html に照らして倫理委員会の事前の承認を得ないで人体実験を行ったので研究そのものが無効であると訴えて、手続き不備論で握りつぶそうとしました。千葉大学園芸学部がこの問題に関する検討委員会を招集した時の座長をされたのが長尾先生でした。その過程でいろいろありましたが、結局、委員会の最終的な結論は、私たちの得た科学的事実は公表してもよいということでしたので、学会誌に投稿して論文にしました。
この時の反農薬活動家グループの姿勢から、彼女たちの活動は、結局科学的事実はどうでもよく、自分たちの主張を通すためにはなりふり構わず手段を選ばないという性格が明らかになったと確信しました。

私はもう忘れていましたが、先生は「松くい虫問題はその後どうなりましたか」と私に話しかけてこられましたので、私の顔と10年以上も昔の検討委員会のことをまだ鮮明に覚えておられたようです。2005年には群馬県のあるゴルフ場で松くい虫防除でネオニコチノイド剤のマツグリーン液剤2(アセタミプリド)を地上散布する予定日に、降雨で散布中止になったにもかかわらず、約10Km離れた所にお住いの化学物質過敏症の女性二人が飛散薬剤で体調が悪くなったので散布を中止してほしいと県庁に訴えるという事件がありましたが、先生はそのことについても言及されましたので、驚きました。
もしかしたら、医師というのは自分が関わった患者や事件のことはいつまでも記憶しているものなのかなと想像しました。