2017年4月25日火曜日

大網白里市の萱場(かやば)の辺りは早場米の産地ですが、前回視察に寄った時には代掻(しろか)きは済んでいましたが田植えは未だでした。もう4月も下旬ですので、再度様子を見に行ってきました。
途中の金谷郷には製材所があります。スギかヒノキの大木の丸太が積んであったということは、房総半島にはまだこんな大木が伐採できる山が残っているのでしょう。
水田にはカルガモが来ていました。
田植えが済んだりっぱな水田が広がっていましたが、残念ながら耕作放棄水田もあり、こんな地の利のいいところでもったいないなと思いました。結局今の農業(特に稲作)は収入が少なく職業として魅力がないので、後継者が段々いなくなっているのでしょう。














両総用水というのは利根川から一の宮川までの幹線78Kmと支線155Kmの農業用灌漑水路で、1943年(昭和18年)に事業化して1965年(昭和40年)に竣工したようです。
https://www.pref.chiba.lg.jp/ap-sanbu/sanbu/ryousouyousui/shashin/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%B7%8F%E7%94%A8%E6%B0%B4
大網白里市金谷郷の平場を通っていますが、今では暗渠になってコンクリートで蓋をされているので水は見えません。




萱場には上熊野神社の手前に水田が広がっていますが、シラサギ(チュウサギと思われる)の群れが来ていました。
砂田(いさごだ)ではあちこちの水田がムギ畑(二条麦=ビール麦)に代わっていました。減反の代わりにムギを植えることで補助金がでるのでしょう。前回寄った時はまだムギかどうかわかりませんでしたので、何か緑肥作物かなと思いました。




 


 
砂田では多くの農家の屋敷が空き家になっています。一軒の農家では門構えのクロマツが植栽してありましたが、1本は枯死していました。枯死原因を探るために今度農家の了解を得て、材片を採取させてもらってマツノザイセンチュウ陽性かどうかDNA診断をしてみたい気がします。





千葉大学現職の時に何年間にもわたって棚田を使わせてもらって農薬の生態影響調査をさせてもらった林さんの旧母屋には、竹の子が生えていたり、花木が植えてあったり、サトイモ(今は収穫の時期ではないので昨年収穫して貯蔵しておいた?)が天日干ししてありました。昔棚田だったところは今は耕地整理されていますが、久し振りにニホンアカガエルを見ました。
ビニールハウスにはイネ苗が準備されていましたので、これから田植えをするのでしょう。畑にはイチゴの他に各1本ずつですから自家消費用でしょうか、クり、ナシ、キウイの苗木が植えてありました。













松戸には午後4時頃帰ってきましたので、少しでもトレーニングの距離を稼ごうと思ってそれから着替えて水元公園Cブロックにウォーキング/ジョギングに行きました。
葛飾橋の下の芝張り工事をしたところでは、芝が芽を出し始めて市松模様になっていました。サッカー場ではチビッコサッカー教室が開かれていて、子供たちがコーチの指導で元気に走り回っていました。
不動池ではまるで私を待っていたかのようにカワセミが目の前の小枝に飛んできて、間もなく飛び去りました。
広場の藤棚では藤の花が綺麗に咲いていました。