2017年4月7日金曜日

私は千葉大学園芸学部で現職時代に、農薬の水田や水田周辺環境における挙動や生態影響の実態について何年間も現地に出て調査研究をしましたが、対象地域の一つは千葉県大網白里市(当時は町)の砂田(いさごだ)地区でしたので、田植えの時期が近付くと今頃あの景色はどうなっているだろうと気になります。砂田の手前の萱野(かやの)地区の辺りは早場米の産地ですから、そろそろ田植えの準備をしている頃だろうと思って、様子を見に行ってきました。

やはり多くの水田がすで水を張ってあり、いつでも田植えができる状態になっていました。多分、数日内には田植えが始まるのではと想像します。昔と違って水田の半分ぐらいは、イネを止めてムギか緑肥作物が植えてありました。それと同時に、あちこちの水田が放棄田になってヨシ原になって、木まで生えているのを見ると、日本農業の厳しい現状(農業政策の失敗)を思い知らされて情けない気持ちになります。

私たちの調査研究に協力してくれた砂田地区の農家の多くは、空き家になっていました。高齢化して、後継者もいなくなって、廃業せざるを得なくなったのでしょう。この辺り全体の農家の中で一番若い後継者は私より2~3才年長の林 久善(ひさよし)さんでしたが、今年はイネの苗箱が準備してなくて、トラクターも倉庫の中で動かしてない様子でした。野菜の苗は少しだけ準備してあり、収穫したサトイモも置いてありましたので、まだ農業は続けておられるようでした。作業場に捨ててある農薬の空容器をみたら、除草剤が3種類、殺虫剤が3種類、殺菌剤が1種類でした。古いものも容器だけ残っているかもしれません。























その後、蓮沼海浜公園を訪ねて、九十九里浜の松林の跡地の様子を見に行きました。以前も見ましたが、芝山に木のネンドの工房があった小杉荘八君(千葉大学学生時代の同級生)が作った芝山で発掘された馬子と馬の埴輪(はにわ)のレプリカが展示してありました。
公園には千葉県北部林業事務所が設置した九十九里浜の白砂青松の看板が立っていますが、松林は堂本知事の時代にヘリコプターによる薬剤散布を中止した結果松くい虫被害で消滅しましたので、虚しい感じがしました。その後公園の駐車場の辺りに植えられたクロマツには全て殺線虫剤の樹幹注入施工票が貼ってありました。
汀線(ていせん)に近いところには砂で防潮堤が築かれ、マツが植栽され、その内側には竹垣で囲んでマツの苗が植栽されて育っていました。
一番陸地に近いところには新しく設置した竹垣の中に苗が植栽されていましたが、マツは21本中3本だけで、残りはタブとマサキの苗でした。




























帰り道の途中に材木がたくさん置いてある工場がありました。今時珍しい製材所かと思ったら、木造建築業のようでした。りっぱなスギ(多分山武杉)の材木が置いてありました。