2017年5月16日火曜日

千葉大学勤務の現職時代に、何年間も大網白里市砂田(いさごだ)の谷津田を農家から借りて水田ビオトープを造成して農薬の生態影響を調査研究しましたので、今でもその場所がどうなっているのか気になって時々立ち寄っています。
今日久し振りに寄ってみたら、当時お世話になった林 久善さんと偶然お会いでき、お互いに懐かしくしばらく話をしました。
前回立ち寄った時にまだ緑色だった麦は、二条麦(ビール麦)ではなくて六条麦(いわゆる小麦)で、パンに適した硬質小麦ではなくうどんに適した軟質小麦だとのことでした。お米の減反政策で、地区ごとに4年間のローテーションで小麦と大豆を転作作物として栽培しているのだそうです。そうすれば転作補助金として10a当たり11万円がもらえるが、収穫した小麦の場合は1kg当たり1円、大豆の場合は40円で買い上げてくれるという仕組みだそうです。



砂田の切り通しの崖の下半分は常に裏山に降った雨がしみ出て湿っていますので、まるで緑色のカーペットのようにきれいな苔(コケ)が生えて、その中から羊歯(シダ)も生えていました。裏山の畑にも上って見ましたが、自生しているひなげし(ポピー)やツツジが綺麗でした。キジもいました。切り通しの途中の崖には、終戦間近に米軍が九十九里浜から上陸した時に迎え撃つ大砲を海岸まで運ぶのに必要な軍馬を隠しておいた洞窟の跡がまだ5~6ケ所残っていました。









林さんの家ではコナラを玉切りして椎茸の原木栽培をし、鶏小屋を作って鶏の飼育もしていました。肉と卵の兼用の名古屋コーチンの他に青い卵を産む何とかいう鶏も飼育していました。おみやげに卵とサツマイモの苗を採るのに使った余りのイモをいただきました。庭の縁の竹林は竹の子がどんどん生長していました。
周辺の農家のお屋敷が空き家になっていることについては、砂田には24世帯の家があったのが、今は息子たちが都会に出て15世帯しか住んでいなくて、定年後に集落に戻ってくれるかどうかはわからないとのことでした。農業では家族を養って食べていくのが難しいので、息子たちが後を継がないのもやむを得ないのかもしれませんが、こんな素晴らしい環境の土地なのにもったいなあという気がしました。










その後、先日館山市の平砂浦のマツの視察の帰りに偶然見つけた南房総市の安房中央ダム・丸山湖に行ってみました。先日は暗いトンネル(鍛冶畑隧道)を越えてちょっとだけしか見られませんでしたので、今日は全体がどうなっているのか見たいと思ったからです。途中で犬の散歩をさせていた地元の人に出会ったら、この湖の水は崖の土砂が常に流入しているせいか、いつも濁っていて青色に澄むことはないと話してくれました。それでも、嶺岡山系に囲まれた山奥の湖畔には、色鮮やかな藤(フジ)の花やアザミが咲いていて、いい雰囲気でした。













帰路、鴨川市のみんなみの里と呼ばれる道の駅に立ち寄ったら、駐車場にチェーンソーアートがいくつか置いてありました。
今の時期は、暑くもなく寒くもなく、田舎にドライブして新緑の中を歩くと、爽やかで癒される感じがします。