浦和高校時代の同期生杉山棟男君は今月13日に亡くなって、今日埼玉県の所沢市斎場で告別式がありました。一橋大学を卒業後、今話題になっている東芝に勤務し、定年後は浦和高校同期で新日鐵勤務だった佐藤利幸君に誘われて同社のゴルフ仲間の甘楽会のメンバーとよくゴルフをしていたそうです。昨年の今頃は元気にゴルフをしていたのが、今年の2月頃になって咳が止まらないというので検査入院して調べてもらったら相当進行した肺がんだと診断され、抗がん剤治療を受けたが、その甲斐なく副作用(気力喪失、食欲減退、体重減少など)に苦しんだ結果亡くなったとのことでした。同期生が昨日のお通夜にも何人か来ていたそうですが、今日の告別式にも何人か来ていました。
喪主の奥様とご挨拶しましたが、気丈にしていましたが相当おつらいことと推察しました。二人のお嬢さんにそれぞれ男の子供が二人ずついるとのことでしたので、おじいちゃんとして4人の孫の顔は見られたことになります。式の最後に長女が親族代表として喪主の母親に代わって挨拶をしました。
いよいよ火葬場に向かうために出棺となった時には、二人のお嬢さんはこらえきれずに大きな声で泣いていました。娘として杉山君に可愛がられて育った日々が去来したのでしょう。
見送りながら、同期生どうしで、明日は我が身だなと話しました。確か私たちの浦和高校時代の同期生は400人ぐらいだった筈ですが、すでに50人ぐらいは亡くなっているとのことでした。人の寿命は本人の健康管理の努力と運命で決まるのでしょうが、身近な人の死に直面する度に、生きている間は今を大切に生きて、死ぬ時に悔いが残らないようにしなければといつも思います。
松戸からJR常磐線で日暮里駅、日暮里駅からJR山手線で池袋駅、池袋駅から西武池袋線で所沢駅、所沢駅から西武新宿線で航空公園駅、航空公園駅からタクシーで斎場まで行きました。航空公園というのは珍しい名前ですが、タクシーの運転手によると、元々戦前は日本軍の飛行場があったところが戦後進駐軍に接収されて米軍基地になり、その後一部を米軍通信基地として残して、残りは返還されたので、市役所を建てたり航空公園として整備したとのことでした。
駅のすぐ前に1962年に初飛行した国産旅客機のYS-11の機体が展示されていました。公園内をタクシーに乗るまで少し歩いてみたら、ハシブト(嘴太)ガラスがいました。
駅構内に併設されている西武の店には、外の通路に果物売り場と野菜売り場が出てりっぱな生産物が陳列されていました。
松戸駅前には工事中の高層建物がありますが、あんな高い所で作業をしている人はすごいなと思うと同時に建築の技術もすごいなと思います。