朝食が済んでからLarry君にTate家の敷地の一角にある墓地を見たいと言ってトラックで連れて行ってもらいました。森の中に粗末な針金のフェンスで囲まれたTate家の墓地があり、墓標を見ながらLarry君はこれは自分のGrandfather だとか、説明してくれました。生年と没年が刻んでありますが、概してずい分若い年齢で亡くなっていることがわかります。私がもう一度見たいと思ったのは、南北戦争(アメリカでは市民戦争と言います)の時に南軍兵士として従軍した人のお墓でした。南北戦争の見方は立場によっていろいろあるでしょうが、Tate家の一員だったこの若者は自分たちの家族が住んでいる南部のために戦ったのでしょう。享年69才ですから、戦死したのではなく、郷里に帰ってから亡くなったのでしょう。
Larry君のお父さんは亡くなった時にこの墓地ではなく、町にある墓地に埋葬されたそうです。こういう個人の敷地にある墓地は、墓石も風化し、管理をする人もなく、だんだん過去の遺物になっていくような気がしました。昔は火葬ではなく土葬でしたので、Head Stone(頭の位置の墓標)とFoot Stone(足の位置を示す墓標)が立っていました。
母屋の裏に立てた別棟の小さな家(ベッドルーム2つと簡単なキッチンがあるが洗面室とトイレはない)や、鶏小屋や、青浮草に覆われた牛の水飲み場の小さな池などを見て、帰宅の途につきました。今回は大雨による事故や渋滞もなく、途中シャーロットという町で空手の弟子/友人のWayne Brown君とスペインレストランで待ち合わせをし、ランチを食べました。彼は私より10才下で65才ですが、相変わらず3つ(その中の1つはサウスカロライナ州のコロンビア、2つはノースカロライナ州のシャーロットにある)のレストランを回って総支配人みたいな立場で助言をしているとのことでした。離婚した奥さんとの間に息子と娘がいて、いずれも孫がいるのでおじいさんですが、常に前向きな姿勢で生きています。今は空手ではなく、タイチ(太極拳)を教えているそうです。