2018年1月2日火曜日

箱根駅伝のテレビ中継を途中まで観てから、江戸川堤防にウォーキング/ジョギングに出かけ、3時間運動してきました。往きは上流に向かって右岸を進み、復りは堤防を下りて町の中の神社に寄りながら由緒などを確認してきました。

園芸学部研究圃場の緑色の実が鈴なりだった木は、実がさらに熟して銀杏(ぎんなん)と同じように黄色に変色していました。元々は環境植栽学研究室が管理していた一角ですが、よく見たら同じ木が10本ありました。もしかしたら、野鳥を誘うために意図的に実のなる木を植栽したのかもしれません。
江戸川は青空を映していました。母親が小さな息子、娘と3人で凧(たこ)揚げをしていました。
あちこちの玄関にはお正月らしく注連(しめ)飾りが飾り付けてありました。











園芸学部がある戸定ケ丘の隣りにある小山(こやま)の浅間(せんげん)神社の本殿は急勾配の石段の参道の上にあり、膝が悪いらしい年配の女性が手すりにつかまりながら一歩一歩上っていました。
古ヶ崎の鵜森(うのもり)神社は元々は江戸川の川幅が狭かった時に今の川の真ん中ぐらいにあった鬱蒼(うっそう)とした森の中にあったのが、川幅を広げる治水工事をした時に今の位置に移ったとのことでした。













日本ではどうしてこんな狭い範囲にたくさんの神社があるのか不思議な気がします。キリスト教の教会は信者が支え、お寺は檀家が支え、神社は氏子が支えているのでしょうが、司祭や牧師のいない教会はないのに対して、僧侶(住職)のいないお寺や宮司(ぐうじ)のいない小さい神社はたくさんあるような気がします。
松戸神社に残っている最古の石造物には元禄11年(1698年)9月建立と彫ってあるとのことですので、少なくとも320年前から営々と続いていることになります。
いつか図書館で神社の歴史について調べてみたら面白いだろうなと思います。
今夜は松戸の上空には満月が出ていました。