堤防上に設置してあるベンチの背側に植栽されているタブノキは濃紺の実をつけています。
明日は千葉県知事杯争奪クラブ対抗カヌー競技会が予定されていますので、今日はたくさんのカヌーが江戸川で練習をしていました。
古ヶ崎を過ぎて、流山市との境界まで行くと七右衛門新田という地区になり、堤防下に稲荷神社があります。庚申塔がたくさん並んでいましたが、判読できた建立年の一番古いのは寛文11年(1671年)でした。
少し戻ると主水(もんど)新田という地区になり、ここにも稲荷神社があります。
ネギ畑で定植して間もないネギの苗に灌水している農家夫婦がいましたので、何故僅か200mぐらいしか離れていないのに稲荷神社が2つあるのかと訊いてみましたら、七右衛門新田と主水(もんど)新田とは江戸時代から地区が違うからだとのことでした。農家の話では、江戸時代には国府台・戸定ケ丘・相模台から馬橋の辺りの高台と江戸川の間は沼地で、大雨が降るとしょっちゅう水害に悩まされていたとのことでした。
水害を防ぐために、江戸川の水を上流から下流に流す排水路としての坂川を建設し、江戸川の堤防を高くする工事が行われたようです。
主水新田の稲荷神社は今ではわずか15軒の氏子(多分、昔からの住人)で支えているので厳しい状態だとのことでした。
坂川沿いに松戸市内に戻り、松戸市役所近くの金山神社にも寄りました。坂川の日蔭になった部分は、昨夜の冷え込みで氷が張っていました。
園芸学部構内に戻った時は夕暮れになっていました。