2018年2月11日日曜日

建国記念日と日曜が重なりました。日本は植民地から独立を勝ちとったわけでもなく、大陸のどこかから日本に移住してきた弥生時代の私たちの先祖が縄文時代の先住民を打ち破って建国をした日でもなく、第二次世界大戦後日本を統治していたアメリカからの進駐軍から施政権を取り戻した日でもなく、何をもって建国とするのか私にはよくわかりませんが、祭日になると外に出て思いっきり体を動かして運動をしたくなります。
江戸川を東京湾に向かって左岸の堤防を下って2時間50分ウォーキング/ジョギングしてきました。帰りは堤防を下りて、農耕地の間の野菊の小道を通って矢切・栗山の斜面林の上に出ました。
蔵のギャラリー結花(ゆい)の案内板に住所が出ていましたので、スマホの地図に入力して訪ねてみました。ちょっと寄ってどんな様子か見たり、コーヒーを飲んで休憩してみようかと思っていましたが、ちょうどコンサートをやっていて入場料が3,500円と書いてありましたので止めました。普段は喫茶をやっているようですので、特別企画がない時にもう一度立ち寄ってみようと思います。




葛飾橋は塗装工事が終わって、一部残っていた足場も全部撤去されて、橋梁に工事の記録が書いてありました。予算の確保との関係もあるでしょうが、次回再塗装工事をするのは何年後でしょうか・・。



矢切には江戸川との間に挟まれた農耕地の他にも、国府台(こうのだい)と呼ばれる台地に沿って興味深いところがいろいろあります。




















松戸市総合福祉会館(旧健康増進センター)の敷地内に植栽されている5本のサクラの木には、前回来た時にアメリカシロヒトリ防除で樹幹注入されたアトラック液剤(有効成分はネオニコチノイドのチアメトキサム4%)の空容器2本が幹に挿し込まれたまま放置されているのを見つけました。もしかしたら残りの3本も植木の茂みの中にでも落ちているのではと思って探してみたら、予想通りで、2本見つかり、しかも中身が入っていました。この殺虫剤製剤は60mℓ入ですから、自宅に持ち帰って空容器と中身が残っている容器の重さを秤量してみたら、1本には50g(mℓ)、もう1本には35g(35mℓ)残液が入っていました。松戸市総合福祉会館の通りを隔てた向かい側には子供が遊ぶ小さな公園もありますし、このような人通りのある場所に樹幹中注入剤の容器(しかも一部は薬液が入ったまま)を放置したままというのは、とんでもないことです。松戸市役所から仕事を受注した造園業者がいい加減で、手抜き工事をしたのでしょう。万が一、子供が遊び半分で樹幹注入剤の容器を引き抜いておもちゃ代わりに遊んで口にでもした場合は、誰の責任になるのか心配になりました。
この農薬の登録を認可したのは農林水産省ですが、製造・販売はシンジェンタ ジャパン株式会社ですから、ネットでアトラック液剤に関する注意書きを調べてみましたら、ちゃんと必要な注意事項は書かれていました。
http://www.syngenta.co.jp/lm/products/atrack/
販売会社の井筒屋化学産業株式会社の注意書きにも同様の記述がありました。
http://www.izutsuya-chem.co.jp/products/atorakku.pdf
ということは、もちろん第一義的には無責任な手抜き工事をした造園業者の責任ですが、そのような業者に仕事を発注した松戸市役所にも適正な業務が行われたかどうかを確認しなかったという点では監督責任があります。ただ一番の問題は、資格のない業者に防除業務をやらせることを放置している国の行政の責任だと思います。
私が千葉大学の現職で、農水省農業資材審議会農薬分科会長だった10数年前にも現状の危険性や精度の不備を指摘し、アメリカのようにPesticide Applicator Liscence(農薬施用者免許)制度の導入を提案しましたが、時期早尚として無視されてきました。
アメリカでは農薬管理行政を一括所管しているEPA(Environmental Protection Agency 環境保護庁)が各州政府に委託して、分野ごとの農薬(非農耕地や木材保存剤や防疫剤なども含む)の安全使用に関する講習会を開催して、農薬販売者や施用者に受講を義務付けています。日本では縦割り行政ということもあって、国や県や、協会や業界が研修会を独自に開催して資格を発行(例えば、一般財団法人日本緑化センターの樹木医や松保護士)したりしていますが、法的裏付けがなく、農薬に関する知識や資格がなくても農薬散布や防除業ができるというのが実態です。
いつか時間をみて農水省を訪ね、今回回収した樹幹注入剤の容器を証拠のひとつとして持参して、農薬施用者に対する研修制度と免許制度の必要性について再度相談してみようかと考えています。

自宅に着いた時には夕暮れになっていました。