2018年2月9日金曜日

園芸学部構内にUrban Sketchers のポスターが掲示されていました。昨日洗心倶楽部前でウロウロしていたアメリカ人Joe 君は、この企画でワシントンDCから来日・来学したということがわかりました。彼自身はソフトウェアエンジニアだと言っていましたが、そのことと都会のスケッチをすることとどうつながるのかはわかりませんが、世話人をしている留学生の女子大学院生は緑地環境学科の都市計画や地域計画のデザインをやっている木下 勇教授の研究室を専攻しているとのことでしたので、Joe 君の専門はコンピューターを使って都市の環境デザインをやるのかなと想像しました。


道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間してから、江戸川を東京湾に向かって左側の堤防を下って矢切の渡しまで行き、2時間20分ウォーキング/ジョギングしてきました。
武道場が入っている緑風会館が出来て以来、男子更衣室と男子シャワー室は毎週空手部が掃除をしてきましたが、今は私が一人で掃除をしています。このところ寒くなってきて使う学生が少なくなってきたのであまり泥を持ち込まなくなりましたが、シャワー室の流しにはゴキブリ(多分クロゴキブリ)の死骸がたくさん散らばっていました。更衣室とシャワー室にはゴキブリ対策のベイト剤(有効成分はフィプロニル?)の容器がいくつか置いてありますので、それを食べて死んだのかもしれません。




洗心倶楽部前の芝生広場の端にはクスノキの大木が何本も植栽されていますが、特にその中の1本はいくつかの株が癒合したみたいになっていて巨大です。しかし幹は途中から5本の幹に分かれています。太い1本の幹になるのと、何本かの幹に分かれるのと、何が原因なのか興味深いところです。
旧正門にはいつの間にか車止めが設置されていて、今の時期は入学試験期間は立入り禁止の看板が設置されていました。





矢切では堤防を下りて農地の中の小道を通って矢切・栗山の斜面林を上がりました。坂川の矢切橋からは、ヒドリガモの群れとオオバンが泳いでいるのが見えました。農地ではダイコンを収穫している農家や農作業をしている農家の姿がありました。
徳川時代に掘って村人を潤してきた大井戸を埋めたことを記した石碑や、2度にわたる国府台戦争の歴史を記した掲示板や、寛文8年(1668年)に建立された庚申塔など、以前にも何回も見ましたが、見る度に当時の様子が想像され胸が躍ります。