2018年3月19日月曜日

千葉大学園芸学部応用昆虫学研究室の卒業生は松虫会という名前の同窓会をやっていて(私は現在の会長)、昔から「松虫タイムス」という名前のニュースレターを発行して研究室の現状紹介や卒業生間の情報交換をやっています。発行を担当している研究室の准教授の野村昌史先生から、できたら3月中に発行したいので至急ということで原稿の依頼がありました。最初は、行方不明中の私として、アメリカに約10年間暮らしていた時に経験したことの中で強く印象に残っていることについて書こうかと思いましたが、年寄りの思い出話よりも、もう少し今の話題の方がいいかなと思って、結局つい先週開催した東京農業大学総合研究所研究会農薬部会のセミナーについて紹介することにしました。
原稿を送ってホッとしているところです。

GAPと有機農業-理想と現実

会長・昭和41年卒 本山直樹
 

 私は約30年間勤務した千葉大学を定年退職後、東京農業大学客員教授として総合研究所で5年間過ごしました。その縁で、5年前に総合研究所研究会(現在28部会ある)の中の農薬部会の会長を山本 出先生(元日本農薬学会長)の後任として拝命して、現在も年に4回の部会セミナーと2回の特別講演会を企画実施することに関わっています。本年316日に農大世田谷キャンパスの「食と農の博物館」で開催した第109回部会セミナーでは、山下ようこ氏(元東京都議会議員・1981年園芸学部卒)による「農学出身政治家の農業、環境、緑化政策」と、今瀧博文氏(一社GAP普及推進機構専務理事・GLOBAL G.A.P. 事務局長)による「持続可能な農業と適正農業規範(GAP)の役割」と題した2題の講演がありました。山下氏は千葉大学で花卉園芸学を専攻した経歴を生かして、食料を生産する農業の重要性と、植物の持つ生物学的効果(光合成による二酸化炭素吸収・酸素放出)、物理的効果(蒸散による温度低下)、化学的効果(VOC等の有害物質の吸収・分解)、精神的効果(癒し)の観点から、特に彼女が取り組んでいる室内緑化推進活動について講演しました。今瀧氏は農薬メーカー勤務を経て現在はGAPGood Agricultural Practice)推進の仕事に取り組んでいて、2020東京オリンピックで「持続可能性に配慮した食材の調達」にGAP認証が必要になったことの紹介と、GAPとは何かということ、食の安全や農産物の輸出入との関連について解説しました。GAPが目指すのは、食品安全・労働安全・環境への配慮・人権保護へのバランスの取れた取り組み(すなわち持続可能な農業)とのことでした。
 今から何十年か前に、海外のある大手の毒性試験研究所の不正行為(データ捏造)が露呈したことがきっかけになってGLPGood Laboratory Practice 優良試験所基準)導入の必要性が議論された時には喧々諤々の大騒ぎになったのを覚えていますが、今では試験データの信頼性を担保するものとしてすっかり定着しています。名称が似ているGAPの場合は、「適正農業規範」の他にも農水省が推奨する「農業生産工程管理」という日本語訳もあり、認証基準にもGlobal GAPAsia GAPS GAP、等々があり、現在は試行錯誤の段階の印象を受けました。認証を受けるには一件につき3040万円の費用がかかり、しかも有効期間は1年で毎年更新が必要となると、日本の農家の大半を占める小規模の兼業農家が対応できるのかという問題もあるような気がします。
 有機農業も、超党派の議員立法で有機農業推進法が2006年に施行されてから、有機、特別栽培、無農薬、減農薬等の言葉が整理されましたが、誰が日本全国の農家から申請される有機農業・有機資材を認証するかという問題がありました。結局、民間の認証機関が個々の農家と資材の認証をし、農水省は認証機関を認定するという二段構えになりました。認証機関は通常少人数の個人でやっていて分析機関ではありませんので、書類(資材の製造工程説明書など)審査と現地視察だけで適合かどうかの判断をせざるを得ず、有機農業で使われる農薬代替資材や肥料代替資材から意図的に混入された農薬や肥料が検出される事例が続出し、農水省はこれらの資材を疑義資材と命名して注意を喚起しました(写真は私たちの研究室で明らかにした事例で、20071122日の朝日新聞の特ダネになった記事)。全国に多数ある認証機関はビジネスとして競合(有機農業生産者の取り合い)するようになり、同じ資材について適合かどうかの判断が分かれるという混乱も生じるようになりました。その結果、有機JAS資材評価協議会という共通組織ができて、私は依頼されて防除資材について助言をする顧問になっています。
 結局、GAPにしても有機農業にしても理念としてはよくても、金儲けのビジネスチャンスとして便乗しようとする人々がいる限り理想と現実の間に生じるギャップは避けられないのだとしたら、国民は情報に踊らされずに事実を見極める冷静な目が必要だということなのでしょう。