亡くなったHodgson先生への弔意を込めて少額($100)ですが指定された基金にオンラインで振り込みましたら、早速ノースカロライナ州立大学の担当Dean(学部長)から感謝状がメールで届きました。
朝はいつものようにSymphony Lakeの周りのウォーキング/ジョギングとAmphytheatreのステージでの素振りをし、午後からはモーテルの部屋で空手の稽古をしました。だんだん体が軽くなってきたので楽しみです。
郵便局に寄って妻宛の3回目の手紙を航空便で出しました。私の携帯電話が故障して、モーテルの部屋の電話も国際通話はできなくなっていますので、日本から何か緊急の場合の連絡手段としてモーテルのフロントデスクのFAXの宛先を知らせておきました。
その後Frank Peoples君が約束通り3時半頃来たのでBill Oakley君の携帯に電話をしました。Bill君は体調が悪化して自分のアパートで一人で生活することができなくなってお姉さん夫婦のところに移って世話をしてもらっているとのことでしたので、一緒に外食できるかどうか誘ってみるつもりでした。か細い声で体調が悪くて駄目だと言ったので、様子を見にとにかく姉さん夫婦の家に行ってみることにしました。Frank君のカーナビに住所を入力して、家に着いたので玄関のブザーを押してみましたが誰もでてきませんでした。もう一度Bill君の携帯に電話をしてみたら、実は今はUNC Rex Hospitalという病院に入院していて、今日も明日も面会に来ても会えないとのことでした。そこで病院に行って受付で確認したら、Bill君は確かに入院していて、面会可能な部屋でした。Bill君と私は1969年にノースカロライナ州立大学の学生寮で出会って以来50年近い空手の弟子/友人の関係で、Frank君とBill君は子供の頃からRaleigh市から車で1時間ぐらいのルーズバーグという田舎町で一緒に育ったもっと長い恐らく70年ぐらいの竹馬の友の筈ですが、私たちに会いたくないというのはショックです。病室も聞きましたのでそのまま部屋を訪ねることもできましたが、今日も明日も会えないという彼の意志を尊重してそのまま帰ることにしました。よっぽど病状が悪くて、そんな姿を私たちに見られたくないのか、彼の心境を想像するしかありません。
姉さん夫婦の住所はわかっていますので、電話番号を調べるかもう一度訪ねて、Bill君の病状を訊いてみるしか方法はないようです。Bill君はFrank君と同じ年齢で71才の筈ですが、もしかしたらもう回復の見込みがなくて、このままもう会えないのかもしれないという不安がよぎりました。
夕方のLake JohnsonでのFrank君とのウォーキングは今日はやらないことにして、モーテルの近くのDanny'sというバーベキューレストランに行って一緒に夕食を食べました。私は好物のバーベキュー味のポークリブとグリーンビーンとフライドコーン(トウモロコシ)とアイスティーを注文し、Frank君はスライスしたポーク肉と煮豆と蒸(ふ)かしたトウモロコシとアイスティーを注文していました。サイドメニューとして野菜2皿が選べるようになっています。
店のロゴマークも豚の絵ですが、店内にはいたる所に豚の置物が飾ってあります。千葉県の沼南町(今は柏市に編入)で長年養豚業をやっている寺田さんには、昔ハエ類の発生生態の調査で何年間も養豚場を使わせてもらってお世話になりましたので、帰国したら見せようと思って豚の置物の写真をたくさん撮りました。
モーテルに帰ってFrank君と別れてから、やはり夕方の運動をしなかったことの気が咎(とが)めましたので、薄暗くなっていましたがSymphony Lakeの周りを1周してきました。ウォーキングが終わった時は真っ暗でした。