素振り刀を使った素振りも終わってモーテルに戻り始める頃はすっかり太陽が昇って空の色が明るくなり、今まで黒っぽい塊だった雲が白い塊のように見えました。
シャワーを浴びて1階のロビーでコーヒーを飲みながら朝食を食べていたら、私と同じように約1ケ月間滞在しているアメリカ人の男性と隣席になりました。彼も長距離マラソンのランナーということでよく会話をしますが、耳と鼻にピアスをして、足と手の指に真っ赤なマニキュアをしています。私が近くのウォルマートでデジタル体重計を買ってきたがバッテリーの入っているところの蓋がプラスのドライバーがないと開けられないので買ってくるつもりだと言ったら、自分の部屋に道具箱があるので貸してやると言われました。3階にある彼の部屋に寄ってドライバーセットを借りてきて、簡単にバッテリー室の蓋を開けて、体重計を使える状態にできました。せっかく知り合いになったので彼の名前を知ろうと思ってドライバーセットを返す時に名刺交換をしたら、David Wintersと書いてあって、後は多分彼の会社のロゴマークと思われる中世ヨーロッパの騎士の絵と携帯の電話番号と思われる数字とメールアドレスだけが書いてありました。自宅はカリフォルニアだが、ノースカロライナ州に会社があって、1ケ月滞在しては自宅に帰るという生活を繰り返しているとのことでした。仕事の内容はIT関係で、彼のシステムをグーグルやアマゾンが使っているとのことでしたが、私にはよく理解できませんでした。そのうちもう少し詳しく訊いてみようと思いますが、部屋には女性が使うのと同じような化粧品がずらっとおいてありましたし、女性が履くような小さな下着みたいなものもベッドの上にありました。もしかしたら今話題のLGBT(同性愛者)の一種かなという印象を受けました。
ジョージア州のアトランタに住んでいるDr. Buck Grissom(1982-1983年に私がNCSUの客員教授だった時にGuthrie教授の研究室のポストドクで、私の研究室のグループミーティングに毎回出席していた)から電話があり、今から車でアトランタの自宅を出発してRaleighには午後7時頃到着するというので、昨日も行ったSushi Tsuneで夕食を一緒に食べようということになりました。Frank Peoples君にはその旨話して、その前にLake JhonsonのEast LoopとWest Loopをウォーキングしてきました。
シャワーを浴びてモーテルの部屋で待っていたら、予想よりも早く6時半頃電話があり、駐車場に着いたとのことでした。部屋で少し話をした後、Sushitsuneに行って昨日と同じスシスペシャルを注文しました。オーナーのシェフのTsuneoka(常岡?)さんは私が二日連続で行ったので驚いた様子でしたが、食事後写真を撮らせてもらいました。
Dr. Buck Grissomとはいろいろ昔話に花を咲かせて楽しいひと時を過ごしました。Raleigh市に住んでいる彼のお母さんは97才で、認知症らしく彼のこともわからなくなっていて、お姉さんがお世話しているとのことでした。
アトランタの自宅を片づけていたら出てきたというスクラップブックを持ってきましたが、実際は1983年に私が撮った写真のアルバムでした。これが何故彼の手元にあったのか不思議ですが、Guthrie先生の60才の時の写真や、Hodgson先生の51才ぐらいの時の写真や、私が1年間指導をしていたDauterman先生の研究室の大学院生やポストドクの写真が貼ってあって、大変なつかしいものでした。35年振りに私の手元に戻ってきました。
Hodgson先生のご家族は、献花の代わりに志のある人は先生が設立に関わった基金に寄付をしてほしいとのことでしたので、オンラインで私の志($100)を振り込みました。Dr. Buck Grissomも、自分も大変世話になったので基金に振り込みをすると言っていました。