2018年10月19日金曜日

今朝Frank君からモーテルの部屋の固定電話に電話があり、Bill君の義理の兄にあたるBobさんからの連絡で、昨夜Bill君が亡くなったとのことでした。Frank君と私がお見舞いに行って数時間後に亡くなったことになります。本人は、肺の塊のバイオプシ(組織片の採取)をやってがん性かどうか検査してほしいと医師団に依頼したのですから、死ぬつもりはなかった筈です。その後、痛み止めと苦痛の緩和のためにモルヒネの投与を受けて、私たちが会った時は意識混濁状態だったようです。
私の母親が85才で亡くなった時も、恩師Dauterman先生が亡くなった時も、先生の奥様のBarbaraさんが亡くなった時も、つい先日Hodgson先生が亡くなった時も、私が会った直後に亡くなっています。偶然でしょうが、まるで私とさよならの別れの挨拶をするのを待っていたかのようなタイミングで不思議です。
Margieさんが、確か5年ぐらい前でしょうが、Frank君の奥さんのJoAnnさんの娘のJenniferの結婚式(再婚)をした時に正装をしたJoAnnさんとBill君が並んで撮った写真を小さな額に入れて私のモーテルの部屋の台所のテーブルに置いて飾ってくれてありましたので、私のカメラで写真を撮ってコピーしました。その頃はJoAnnさんもBipolar(躁鬱病)の治療で服用していた薬の影響で太っていましたが、Bill君も相当太っていました。昨日お見舞いに行った時の生命維持装置で呼吸をしていたBill君はこの写真とは全く違って、痩せてずい分小さくなっていました。
私の妻もBill君のことはよく知っていますので、昨日病院の集中治療室で撮ったBill君の最後の姿の写真を同封して、亡くなったことを知らせる手紙(5通目)を航空便で出しました。


朝いつものように近くのSymphony Lakeに運動に行きましたが、昨日車に轢(ひ)かれて死んでいたシカの死体は舗装道路からすぐ横の草むらに移されていました。
この池にはアオサギが2羽いますが、1羽は水の中で朝食の餌を狙っていました。もう1羽は池の反対側の岸辺で朝食の餌を狙っていました。急に気温が下がったので、池一面の朝もやが立ち昇っていて、神秘的な雰囲気でした。リスも松の木の根元で何かの実を食べていました。
私が朝もやの写真を撮っていたら、犬を連れて散布をしている年輩のインド人の男性が親切に私の写真を撮ってくれました。昨日あたりから朝夕は少し涼しくなったので、私の運動着も上は半袖のTシャツを長袖に変えました。下はまだ短パンです。

















モーテルに帰ったら、メキシコ人かグァテマラ人のような労働者グループが、庭のサルスベリの木の剪定をしていましたが、樹形も何もなくただ高い部分の枝葉をチェーンソーで切り落とすだけでした。
午後からはモーテルの部屋で空手の稽古をし、夕方はFrank君と一緒にLake Johnsonにウォーキングに行きました。先日買った体重計で測ると、こちらにきてすでに3Kgちょっと減量しています。明日は海岸のBeaufort(ボーフォート)という町に行く予定で、Frank君は10時頃モーテルに来てくれることになっています。途中休憩しても、午後1時頃には現地に着く予定です。パソコンはモーテルに置いていくつもりですので、2~3日はメールでの連絡はできなくなります。多分月曜には帰ってくるつもりです。
今日は夕食後、こちらに来て3回目の洗濯をしました。と言っても、1階のラウンドリー室で25セントコインを8枚($2)入れて洗濯物と洗剤のボール1個を入れてスイッチを入れる(30分)のと、終わったら洗濯物を乾燥機に移してやはり25セントコインを8枚($2)入れてスイッチを入れる(45分)だけですが、汚れ物が一つもないということは気持ちのいいもので、普段洗濯をしてくれている妻の気持ちが分かるような気がしました。