2018年11月5日月曜日

ノースカロライナ州で故障した携帯電話の代わりに日本に帰国して新しい携帯電話を購入したら、どういう訳か今まで見たことがなかったメールが届いていたことがわかりました。
ブラジルに移住した兄の健輔は数年前に80才で亡くなりましたが、ポルトガル人の女性ゼナイダさんと現地で結婚して子供が12人いました。ミナジェライスというところでアルファッセ(レタス?)と呼ばれる野菜を栽培する農業をしていましたが、子供たちに大学教育を受けさせる経済的な余裕はありませんでした。私の母が存命していた何十年か前に、せめて一人だけでもちゃんと教育を受けさせたいということで、当時小学校低学年だった節子という女の子を私の養女にして大学を卒業したらブラジルに帰すという約束で兄夫婦と本人の了承を得ました。母は節子を私のところに連れてくるためにブラジルを訪問し、いよいよ明日出発という日になったら、母親のゼナイダさんが悲しんで一晩中泣いていたので、まるで小さい子供を親から取り上げる人さらいみたいな気持ちになってとうとう諦めました。私もその後ブラジルの兄を訪ねた時に、当時10才ぐらいになっていた節子に会いましたが日本人らしい丸顔で可愛らしい女の子だったのを覚えています。
何とその節子から8月9日にポルトガル語のメールが届いていることがわかりました。「市橋達也君に適正な裁判を受けさせる会」のブログに私への連絡先として書いた普段は使わないメールアドレス宛でした。私は昔アメリカ在住中にH1ビザから永久ビザへの変更を申請して結局却下されて日本に帰国することになりましたが、当時はそれが嫌でブラジルに移住するつもりでブラジル人の女性からポルトガル語の家庭教師をしてもらっていたので、少しは会話ができるようになっていました。それから何十年も経って、ポルトガル語はすっかり忘れてしまいましたので、息子に頼んで息子の友人のブラジル人に読んでもらい、返信をポルトガル語で書いてもらいました。
節子は多分50才ちょっとぐらいの年齢になっているのでは想像しますが、日本に来るのに私の証明書Certificate of Eligibilityが必要なようです。書類を作って送ってあげようと思います。何の目的(働きに?)で日本に来たいのか、結婚して家族がいるのかどうかもわかりませんが、運命によってはもしかしたら養女として私の娘になっていたかもしれない節子と50才ちょっとの年齢になって再会できるかもしれないと思うと、不思議な気がします。




今日も道場で筋力トレーニングをした後で、江戸川堤防にウォーキング/ジョギングに出かけました。堤防下には柿の実が鈴なりになった木がありました。
江戸川の上(かみ)葛飾橋から下流方向を見ると、夕方の雲が水面に映っていました。